サーカス2055 |
ジァン・梅原 |
−第1章− | . | |
.. | これから始まるこの章には、まだ主人公は出てきません。
ただし、時代の背景を理解していただくために、是非必要なのです。 実は大変な事件がこの時代に発生し、人々の生活さえも大幅に変えてしまったのです。 「さて、会社に出かけるよ」 ワカトノブオは、手にしたコーヒーカップをテーブルに置くと立ち上がった。 「行ってらっしゃい」 妻のテツコの声を背に外に出たワカトは、ポケットからシティー・カーの呼び出し機を取 り出してコールボタンを押す。 ちょうど付近に空車があったらしく、直ぐに一台の車がスルスルと彼に近寄り、透明なプ ラスチックドームのドァーをはねあげた。 ワカトはどっかとシートに座り、オートのランプがパネルに点灯しているのを確認して、 行き先をANC(オートナビゲーション・コンピュータ)に告げた。 電子頭脳はゆっくりと車をスタートさせ、しばらく小道を走った後、時速150キロで各種の乗物が流れるハィウェイに入り込んだ。 オートで高速道路を走る車の中で、彼はいつもそうするように、葉巻に火を灯つけてから思考 に入る。 ワカトは朝の車の中が気に入っていた。 なぜなら誰にも気兼ねしないでタバコが吸えるからだ。 「まだ煙なんか吸っているのか。健康に悪いぞ」 彼はいつも友人にいわれる。 しかし、92才で死んだ彼のひいおじいさんも、102才で死んだひいおばあさんも「エントツ」といわれるほどのヘビースモーカーだった。 したがって彼は、自分の家系のDNAにはタールによって発ガンさせる物質はないと、勝手に思っている。 「今日はルーナシティに製造所を建設する計画の検討結果がでる日だな」 彼は基本的には、月のルーナシティに製造所を建設することには賛成だった。 ただ、2、3の技術的リスクがあったが、わが社の技術力でもってすれば問題はない筈だったし、リスクを冒す価値は十分あると判断されたからだ。 彼の勤務する会社「DNC」は、ニツポンのキタキューシューに発足して以来、二百年近くの間に、世界的な企業に成長し、今や総売り上げ265億ウェルク(1ウェルク=現代の1205円)の宇宙的企業だった。 しかし、今回地球以外の、月のルーナシティ・静かの海にケミカル関係の製造所を誕生さ せることは、会社にとってはかなりリスキーな計画だった。 急に車がスピードを落とした。 ANC(オートナビゲーション・コンピュータ)が停止コマンドを出したようで、平行 して走っていたまわりの他の車も次々に停車し、広いハイウェイを埋めていく。 「何かあったのかな?」 ワカトはコールボタンを押した。 すでにKTSC(キタキューシュー交通システムズコントロールセンター: Kitakyushu_Transportation_Systems Control Center)のマザーコンピュータが、情報を 伝えている‥‥‥。 『ただいまキタキューシューシティ・コクラ北行き環状7号線で、マニユアル運転のホビーカーどうしが衝突しました。そのため渋滞が起こっております。ただいま処理ロボット が現地を整備しておりますが、回復には約8分が必要です。あなたも車をマニュアルで運 転するのは止めましょう』 人間に快く聞こえるようにセットされた、KTSCのマザーコンピュータの女性(?)の 声を聞いたワカトはちょっと顔をくもらせた。 「まったく最近の若者は‥‥‥、せっかく安全なオートがあるのに、危険を承知でマニュ アルで車を運転するんだから‥‥‥困ったものだ。自殺行為をやる心理はわからんな」 ワカトは停まった車の中で三次元TVをつけた。 いきなり、にやけた顔の歌手が今はやっている『金星航路で会った娘』を唄いだした。 彼はすぐに局を変えた。 −着陸しようとする巨大な銀色に輝く宇宙船が現れた。 『初めてワープ航法に成功したアシハラ号が、今、白鳥座61番星から帰ってきました。 この成功により、人類は初めて時間と空間を超越しようとしています』少し上ずった声のレポーターが説明している。 ようやく動き出したシティー・カーの中で彼はつぶやいた。 「いよいよ恒星間時代か‥‥‥」 ほどなく車は、キタキュー・シティーの北部にある会社のキタキューシューコントロール センターに到着した。 彼はここで車を降りて、29階建ての巨大なビルの中に入って行く。 『いってらっしゃい』明るい声でワカトを送り出したシティー・カーは、玄関のゲートを 離れて車だまりに入り、新たな乗客を待つ。 早朝にもかかわらず、ビルの中は活気にあふれ、沢山の人々が行き来していた。 ワカトは通いなれた道を進み、巨大なビル内の自分のオフィス向かう。 途中、玄関を含めていくつかのゲートがあるはずだが、彼のポケットにある精密なIC回路で出来たICカードを、ビルのマザーコンピュータが読み取って、次々とゲートを開き、通行を許可 していた。 「やあ、おはよう」 ワカトはオフィスに入ると、いつもの通り室内のスタッフにあいさつした。 「おはようございます、ボス」 スタッフ全員が顔を上げてこたえる。 始業前のコーヒーの香りがただよい、スタッフたちはそれぞれ思い思いに端末のチェック を行っている。 彼は大きな紫外線防御液晶ハイシリコンガラス窓を背にして、室内全部が見渡せる位置に ある自分のデスクに座り、端末のスイッチをオンした。 (以下 その2 へ続く) |
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